少女時代

小学校4年生の時に転校をしましたぁ〜 転校してから間もなく、家庭教師の先生がついての猛勉強の始まりです。母方の祖父が信仰していた繋がりのご縁での、私立中学入学のための受験勉強です。そして6年生になったばかりの頃に、父方の祖母の借金が発覚!祖父に先立たれ、今まで働いたこともない祖母。そして商売をしていたせいかまともに年金も払ってなく、毎日、お酒とギャンブルの繰り返しだったそうです。父の兄弟達が面倒をみていましたが、それぞれに家庭もあり、出来ることの限界はあります。大阪に一人出てきている父に借金肩代わりを、泣きついてきたみたいです。私の父も強く断れる人では、ありません。そして、母に内緒で工面をしてきたお金にも限界はあります。6年生の時、母は私に言いました。「受験して入学になれば中学、高校、アメリカの大学と進学できるけど、おばあちゃんのこともあるし、途中で学費に底がつくかもしれへん。先のことは分からんけど、なおちゃんどうする?」この言葉を聞いて、生まれて初めて“あきらめる”ということを知りました。父への泣きつきはその後も祖母が亡くなる日まで、続きました。そのことが原因で、父と母との離婚話がよく出ていました。『お父さんについていったら、食べるのには困らんやろうけど、おばあちゃんがついてくる、お母さんについていったら、食べるだけで精一杯になってお洋服もピアノも習いこと全部!辞めなあかんようになる、なおちゃんならどっちを選ぶ?』←ある期間まで親戚中から呪文のように、聞かれ続けてきた質問ですッ(笑)
つづく・・
注)決して不幸話しをしているつもりは、ございませんので誤解がありませんようにぃ〜↑↑


青←ぽち!

| One's life | 04:25 | comments(0) | - | - | - |

少女時代

小学校に入学して間もなく、、鍵っこになりましたぁ〜 
朝、、鍵を閉めてから学校へ行き、学校から帰って来たら、自分で鍵を開けて家に入る。という生活ですぅ〜 姉妹がいなかった私は、なんとなく寂しくて、甘えてはいけない!と、思いながら毎日を過ごしていたと思います。
週末は両親と必ずお出かけ。甲子園へ野球を観に行ったり、動物園にプール・・母方の祖父達のところへ遊びに行ったりしていましたぁ〜 祖父のところへ行けば必ず!誰かが相談に来ていましたぁ〜 子供が聞いたところで分からないだろう・・と、大人達は思っていたのかもしれませんが・・(笑) たぶん、、、この頃から“生意気”な発言はしていたと思われますぅ(苦笑)


青←それ!

| One's life | 15:20 | comments(0) | - | - | - |

つづき〜幼少時代

父親は山口県の出身です。父は4人男兄弟の次男。私の父だけが成人してすぐに大阪で、、お勤めを始めました。父の実家はお米屋さんなどの商売を営んでいました。そして私が3歳の時、それまで平穏だった父の実家に、悲しいことが起きました。以前にもBlogで書いたことがありますが、祖父はある人の連帯保証人になり、全てを肩代わりすることになりました。祖母にも息子達にも、誰一人として相談することなく、全財産を投げても終わらない借金に絶望した祖父は、自分で他界する道を選びました。あまりにも突然でショックだったことと、180度!変わってしまうこれからとで、たくさんの喪服を着た大人達が、泣き崩れていく姿を、今でも鮮明に覚えています。。。その時、大阪で母方の祖父は、裕福な暮らしをしていました。
もう今から二十数年前の話しですが、きっと・・この時に感じたことが、今もこれからも変わらず私の“根の部分”だと思います。
つづく
| One's life | 13:08 | comments(0) | - | - | - |

つづき〜幼少時代

3歳(早生まれです)で保育園に入園後〜教室に新しくきた、、オルガンを独り占め(笑) よって!見かねた保育園の先生が母に「ピアノを習わしてあげてくれませんか?」の一言により。。お昼寝時、私だけ抜けては、近くのピアノ教室へ通っていましたぁ〜♪♪
両親は共働きでした。。6歳の時に自分の母親を亡くした、母の私への口癖は「人は生まれてくる時も死ぬ時も独り。あなたは、これから先、独りで生きて(兄弟が居ないので)いかなくてはいけないから、本当に困った時(例えば女の子なので、もしイタズラされたりして、それを絶対にお友達などには言ってはいけない。それはもし私が結婚などしたりして、幸せそうに思われていて、相談したお友達がその時、幸せではなかったら、いくら信用していた相手からでも、足を引っ張られたり、妬まれたりして、お互い嫌な思いをするから。その時はお母さんにだけに言いなさい。ちゃんと遠くの病院へ連れて行って処理してあげるから) は、お母さんにだけ言いなさい。でも何時までも、親は居るものではないから、独りでも生きていけるように、強くなりなさいッ!」←毎日、一緒にお風呂に入る時、よ〜く!聞かされていましたぁあ☆



青←えいッ!!
| One's life | 14:10 | comments(0) | - | - | - |

つづき〜幼少時代

私は一人っ子です。。物心がつく頃(3歳になる前)保育園の入園前に1ヶ月だけ、、個人のご自宅で営なわれていた託児所へ、、預けられていましたぁ〜 託児所へ向かう途中、お豆腐屋さんの前を通ります。お豆腐屋さんを過ぎると母とのお別れが近づきます。なので・・今でもお豆腐屋さんの匂いは苦手です(笑) 成人してから、、母にこの話しをすると、、「私が一人っ子で人見知りがひどく、保育園に入ってから、母離れが出来なかったら困るので・・練習のつもりで1ヶ月間、託児所に預けてみただけ。深い意味はなかったんだけど・・」と、教えられましたぁ〜 親の心とは別に・・私は今になっても、、お豆腐の匂いが苦手で、、食べれないことはないけど。。でもこれから先も自分でお豆腐屋さんに行って、、お豆腐を買うことはないだろうなぁ〜(笑)
つづく・・


青←えいッ!!
| One's life | 15:13 | comments(0) | - | - | - |

誕生

Blogでも、、たま〜に書いたりしていたんですが、、こないだも私の出生時のお話をしていたら、、「それ!書いて記録に残したら??」と、、言われ。。後は「どうして占い師になったんですか??」っていう質問が、、多いので〜 質問に答えつつ、、恥ずかしい話やらどうでもいいような話・・今に至るまでを、、少しづつ書いてみようかなぁ〜と(笑)
*誕生*
1975年3月豊中市生まれ。父は4人男兄弟の次男、母は女2人・男2人の次女。母の父親(私の祖父)は養子で都島区、北区で戦時前・戦後に商売をしていました。祖父は幼少時代、滝に打たれる修行中に生死をさまよい、後に自身が信仰する神に助けられたとかで(?)神道の修行の世界へ幼少時から入ったそうです。祖父は私が母のお腹の中にいてる時から、「男」だと信じきって(笑)いたそうです。名前も男の子の名前しか用意していなかったとか。それは祖父の跡取りが暗黙の了解で私であった証です。出産時期が近づくにつれ、母はノイローゼ気味に。陣痛の時はあまりの痛さに「自分を殺して欲しい」と、訴えたそうです。それを見かねた祖父が“おまじない” 無事!誕生〜 と、、言いたいところなんですが・・私は産声も上げず、父親が私をたたいても、逆さまにしても、まったく泣かないので「この子は死んでる。気持ちが悪い」と、言って抱けなかったそうですぅ〜(笑)
つづく

青←えい!
 


| One's life | 16:56 | comments(0) | - | - | - |

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